SIGNALDADANEWSRELEASESARTISTSLIVESIGNALSTORE



SPECIAL INTERVIEW
shotahirama
shotahirama



「エレメント同士の衝突」をメインテーマにおいた前作『Sad Vacation』より約1年半、いよいよshotahiramaの新作『NICE DOLL TO TALK』がリリースされた。最小単位に細分された音がすれ違い、日常から切り取られた様々な音の摩擦により「空っぽな世界」を溢れんばかりの情報量で描いた前作。それは、音響/エレクトロニカ/エクスペリメンタルという記号に慣れ親しんだ(のうのうと開いているだけの)耳にはあまりにも刺激的で、そんな聴取感覚を10年は後ろに置き去りにしてしまう新感覚であった(20分で42曲入り。この数字からもその凝縮量の何たるかは容易に想像できるだろう)。

そして本作『NICE DOLL TO TALK』だ。「Nothing But You And Me」と題された14分。冒頭にこそ彼の真骨頂でもある声のカットアップ、過剰な変容が聴こえるが、その後の流れの中にはこれまで聴くことができなかった音の運動(中心から外れた低音の動き)、息づかい(耳元で囁かれるような生々しい立体感)、shotahiramaの耳の変化(意図的に音量を落としたフィールドレコーディング)、もしくはあえて封印していた(?)感情、生命力のようなものを感じることができる。「エレメント同士の衝突」から「エレメント同士の融和」へ。いや、違う。そんな単純な話ではなく、個体のエレメントが大幅に表層的な情報量を減らし、徹底的に選りすぐられた最低限の動きのみでお互いが干渉し合い、世にも美しい響きを形成しているのだ。シンプルにしてより過激に。抽象的でぼやけたコンセプトとはかけ離れた、響きそのものに焦点を当てたリアルで剥き出しの音・オト・おと。それは、これまで彼の音楽を語る上で便利だった幾つかの記号を余裕で飛び越え、ポップ・フィールドにまで訴えかける非常に懐の広いサウンドエクスペリエンスを約束する。そう、これこそ与えられたモノの見方を変え、既存のモノから立ち上がる閃きを捉え、執拗なまでに攻め込み、パターン化した、オルタナティヴな視点による変容の産物である。

彼がこだわるオルタナティヴとはいったい? そんなshotahiramaに新作『NICE DOLL TO TALK』に関するあれこれを聞いてみた。そして話はこれまであまり語られることのなかったニューヨークでの幼少期の記憶、彼のニューヨーク・プライドを育んだ思春期の生活にまで及ぶ。-久保正樹






shotahirama
久保 (以下K) : まずは平間さんのバックグラウンドからお伺いします。NY 出身ということですが、何歳まで在住していたのですか?

shotahirama (以下S):説明下手な僕が、まさかのまさか、答えるのに一番時間がかかる質問からだ!笑 いや、僕みたいに都合良く記憶操作する人間は過去を振り返って語らうなんて行為を促そうもんなら特別嘘ばかりで想い出を固めていく傾向があるので、僕の記憶再生たるや。。まぁいいや、このスペシャルな機会に特別しっかり正直に喋ろう、と冒頭で誓います。
と、その前に。どうせウェブで公開されるインタビューならば僕が今何を聴きながらこの原稿を仕上げているか、読者の方と共有しながら進行していくのは如何でしょうか?そしてこのインタビューを読み終える頃に恐らく皆さんが感じるであろう、僕 shotahirama と音響音楽とオルタナティヴなインディーロックが三つ巴に絡み合う様子、これを解きほぐせる結果に繋がると信じて。ということで、イントロダクションは僕が最近のめり込んでいるガールズローファイな音楽から。南カリフォルニアよりベサニー・コンセンティーノ姫率いるBest Coast(ベストコースト)のBoyfriend(アルバムは10年発売クレイジーフォー・ユー)ですぜ。ナイーヴィーとサニーとビーチーな、億劫で気怠くてよりによって女の子。恋だのなんだのなポップス覚えたて初心者が、しっくりこない位置でギターかついで、触っては偶然鳴る音に通りかかってはニャーと鳴く、ノスタルジーな猫だけが飛びつくイマイチガールズポップ。これでも最上級に褒めちぎっているつもりです僕。ヴィヴィアンガールズにカルツにダムダムガールズに女の子ブームなんですよ僕。周りの友達に言われるのですが、なんかこれって1、2年前に流行ったシーンらしいのですが、そのたかだか1、2年前はまだ僕とてつもなく尖っていたので笑(朝からサーシャペレスのカセットテープ聴いてたり、スメグマの7インチを土下座して見ず知らずの人に売ってもらったり)今ようやく自分のタイミングで巡り合いました。ということで、これクリック
さて、質問に答えたいと思います。家族構成は少し特殊で、両親が同じ家に部屋に一緒にいるところはほとんど見た事がなくて、後に母子家庭にもなりますが、母親ともあまり一緒に生活する事もなかったですね。まぁ帰国子女の家庭には良くあるパターンだったと記憶してます。生まれはニューヨークのブロンクスビルという高級住宅地。3億円級の家がゴロゴロ、なんたら銀行の社長もなんたら自動車の社長もありとあらゆる企業のエグゼクティヴクラスがそこら中に、もっといえばケネディも昔家を借りていたほどの超が千回ついても足りない程の高級住宅地。白人がほとんどで、黒人は皆無、住んでなかったですね。ジュイッシュが多くて、でも印象としては街は古く、錆びれたイタリアンがいたるところにあって、高級スーパーが間を縫うかのように立ち並んで、過去と現在が隣り合わせに建設されてるかのような区画。とにかく外観に圧倒される、静かで美しい街です。大きなブロンクスビルリバーが流れてて、緑が空から降ってくるみたいに自然にも溢れてる。家から数分歩けば「あの」公園があって。当時色白でガリガリの僕が女の子にモテたくて日焼けすれば!と思いこの公園のベンチに横たわる昼下がり。アホみたいなサングラスして上半身裸のデカダンスなナリでベンチに横たわる昼下がり。昼下がり、見知らぬ家族に抱きかかえられてしまうあの公園。昼下がり、僕は10歳ぐらいだったかな。みんな、子供がベンチで干からびてると思ったんでしょうね。僕は日光浴をエンジョイしてたんだけどね!軽度の脱水症状でエグゼクティヴセレブに抱きかかえられる、昼下がりとあのノスタルジーと全身火傷みたいな日焼け、忘れない。
なんだっけ。
あれだ、この街ブロンクスビル、ローレンスホスピタルに生まれて六歳まで過ごします。ネイティブアメリカン系のキンダーガーデンに入れさせられて、頭に羽やなんやらをいっぱいつけながらもインディアンスタイルを全うする保育士ニューヨーカー達に可愛い可愛い言われながら10数年後にまさかインディアン系統の刺青をこの子が入れると誰が思ったでしょう。ともあれ6歳になる僕、突然とある国へ行くと宣告され自分がインディアンでないことに気付けばあっという間に神奈川県民に、しばらく日本人として過ごします。特に語ることなし。記憶無し。まったくつまらん日本の生活。10歳だかになると再びニューヨーク・ブロンクスビルへと戻り、この二度目のブロンクスビルでニューヨークプライドを育んでしまう。「おれ、ニューヨーカーだから」「おれ、日本人と違うでいいし」的な的な的な。公園で日光浴をしながら悶々と異性にアピールするshotahiramaこの時まだ声変わりすらしていない。メジャーリーグにのめり込む少年はやがて17だかになり、思春期真っ只中、親は正式に離婚、今や個人史上最もお金持ちだったあの時期はここで途絶え、一家離散で東京に解き放たれる。こんなバックグラウンド、脚色なし。



shotahirama
K: また、その経験は現在の音楽性、もしくは思想に影響を与えていますか? またどのような影響ですか?

S: ろくな答え方してないようで実はまともに答えてはいるんです、あれでも。なのであんなバックグラウンドの件(くだり)から、思想云々を育んで云々いるか云々どうか云々の質問には少し間を置かせてください。どんなに真面目に答えても響かないかもしれない笑。その間にかっこいい答え方を探してみます。そもそもニューヨークってのは、なんというか、あれよ、1つの国みたいなもので、色々な人種と文化が隣り合わせで肩ぶつけてはその都度摩擦して。ポール・ハギス(カナダ出身の映画監督)っぽく語ればこのインタビューもきっとクラッシュ(Crashはハギスの04年代表作、ドンチードルよりもマットディロンでしょ)ばりにアカデミー飾れるかもしれない。あの映画はロスが舞台で多民族国家アメリカで暮らす人々を取り巻く差別や偏見、憎悪などネガティブファクターが摩擦しあうものでした、が、思春期の僕からすれば当時のニューヨークはまさにそれで、要素はすべてがネガティヴだった訳ではないけど、まぁほとんどがネガティヴだったかな、その所謂「摩擦」が目の前で学校で近所でマンハッタンでテレビで、至る所で擦り合わせては何かが生じ響く毎日でした。学校内での人種差別、貧富の差は激しくて、歯の矯正がされている金持ちグループと矯正していない歯並びの悪いグループ、肌の色から宗教まで、英語が喋れるグループと喋れないグループでも容赦なく大きく分かれる。黒人はいなかったんだけど、そもそもそれも冷静に考えれば怖いよね、アメリカニューヨークのど真ん中で黒人がひとりもいない学校。僕の学校は全米トップのお金持ち学校でした、文字通りトップでした。インド人、メキシコ人、韓国、中国、台湾、オーストラリア、日本と、ヨーロッパ圏はイタリア系ぐらいかな。色々な人種がお金を持ってるという理由で集まる。学校の中にはいろいろな住み分けがあって、そこで摩擦する肩と肩のぶつかりあい。トライブとデラソウルのミックステープをメキシコ人からもらえば、隣クラスのコリアングループにかつあげされる、肝心のセレブティーンエイジャーズアメリカンな白人は全員バックストリートボーイズに夢中。思春期特有の「俺なんか何処にも属せない底辺の底辺だ!」厨二病的なあれ、下から上を見上げればそんな日常レベルの摩擦/フリクションは凄まじく刺激的だった。恐怖もあった。興奮もした。だって、メキシコ人にヒップホップ教えてもらってたんだよ僕は。僕は日本人だったけど、ニューヨークプライドもあったし、英語も喋れたので底辺は底辺でも交わってはいました。シーズンスポーツも入ってたし、友達も多かったのかな。だからこそ余計に摩擦体験を肌で感じてこの目で見てきました。

話を学校からもう少し大きな視点で捉えてみても摩擦現象は変わらない。「自分の好きなもの、見つけて掴んだその手を離すな!」みたいな信念がないと、とにかく情報が多い、人が多い、文化が溢れんばかりにあちこちで流れ出る、流される、気付けば遠くへ来たもんだと呆れ果てる前になにかしら自分にひっかかるものを探すのが、多分非常に困難な街だと思う。わかんない、当時の僕は思春期でした、何度でも言うけど。記憶を美化できる術を持った現在の僕が、そんな過去をほじくり返して思い出そうとしているのだから、これほど信憑性が薄いものはない。でもだからこそ微かに残るイメージだけは「確か」であると思うし、しかもこれは強烈だ。はっきり言える事、「孤独感が半端じゃない」ね。ニューヨークはグループ社会じゃないからなおさらだ。自分だけのものがないと前が見えない。逆に自分だけのものを掴んで離さない人間が多いのも事実だ。とにかく人が多く、皆母国語を持っている。みんな外国人。毎日自分のものを抱えてはすれ違い、誰かの肩にぶつかる。ネイバーフッドで残酷な人種差別がある、何処かで断食中の男の子達が大声で罵られる、英語が喋れれば仲間、喋れない人は諦めて今か今かと自宅のドアを欲するんだ。自分だけのものが見えてる者はそうでない者を笑うかのようにも僕は感じれた。ブルックリン、イーストヴィレッジ、あっちへ出れば出たで、掴んだその手やらを離さず輝いてる連中が次の次元でさらなるフリクションを起こして世界発信の文化をつくってる。皮肉たっぷりに言えば、刺激的な国ニューヨークですよ。どの層でも摩擦で何かが起きてる。ただね、差別や偏見、憎悪はあるけど、クリエイティヴなこともいっぱいあったに違いないと思うんです、俺の記憶よ、そうだろ?と僕は僕自身に言いたい。「孤独感、それでも幾つものなにかは毎日動く、ニューヨークは狭く広く狭く、歩けば肩がぶつかる、それらの摩擦、発生するエネルギー、誰彼に故意に悪意でも善意でも、与えては吸収されて、吐き出されて、また何処かの誰かの肩にぶつかるまで彷徨う、その様子、その摩擦、その一連の動き」
今の文章を、2011年に発売された僕のファーストアルバムSad Vacation発売時のレーベルレビュー(作品の詳細文)と照らし合わせてみてください。
「Sad Vacationとは、エレメント同士の衝突をメインテーマに、物質世界、自然界、現実世界など生命一般も含めたエネルギーを基本要素とし、そのヴァリエーションを描く全42曲計20分で構成されたコンセプトアルバムである。人間模様はもちろん、歴史、文化、思想そして信仰など様々な2項間を仮定した場合において生じるエレメントの変化や動き、音響を予測したサウンドスケープミュージックの新たなる側面を提示する」
ニューヨークで育ち育んだ孤独感や多人種文化内での摩擦が僕に凄まじく影響を与えていたのが分かりますね。



「この質問は1年前の僕にするべきでしたね」

K: 昨年、SIGNALDADAがキュレートした企画「50 BOOKS SELECTED BY 50 MUSICIANS〜音楽家50人が選ぶBOOKタイトル50〜」が、青山ブックセンターで開催されましたが、その中で平間さんの肩書きが「作響家」になっていてすごく気になっていました。その意味を教えてください。

S: まずは、この企画は僕の会社SIGNALDADAが青山ブックセンターの六本木店で2011年の8月から1ヶ月以上、2ヶ月近くやってたのかな、文学と音楽が交われる様な企画をと思って立ち上げたイベントでした。これをクリックしてもらえれば青山ブックセンターさんのこの時のページに飛べますぞ。参加アーティストはmille plateauxのレジェンド組としてクリストフ・シャルル先生にTerre Thaemlitzさん、さらには杉本 佳一さん (FourColor, FilFla)、一ノ瀬 響さん、何度かライブでお世話になりましたChihei Hatakeyamaさん、大好きな空間現代、さらにさらにsawako姉さん、プライベートでも仕事でもお世話になっているパートナーのmAtter濱崎さんなど計50組で、もちろん久保さんにも参加して頂きました。皆さん好きな書籍(文庫縛りでしたね)を一冊ずつ選んで紹介するってやつで。で、皆さんそれぞれ肩書きを名前横に括弧付きで記載しなくちゃならなくて。で、僕は「作響家」と。特別何かを狙ってこの言葉を選んだ訳ではないんですけどね、いや、狙ったのかな。うん、狙ったな。先輩ミュージシャンからすれば、お前なんだこれ?作響家?は?って思われてたかも。今の自分なら「作響家」よりも「音楽家」を選ぶし、その言葉に嘘つかないように自分に音楽に周りの人に忠実に仕事をこなすだけで、どっちかというと昨年よりも今の自分には強度があると感じてるし、びくびくしてる事も少なくなった。忠実に、ってなんだか優等生みたいな発言ですが、まぁ僕みたいな新人はこの時期、というかそもそもこの時代尖ってる場合じゃないんですよ。何が言いたいか?正直に言えば、この頃は前作Sad Vacationが発売されていた時期で、響き、とか音響類いの言葉に執着していたので、それにストイックになりすぎてたのもありますね、肝心の音楽家としての何かを見失っていたので、そんな僕の気持ちの調子もあってか「作響家」を選んだのかも。ひねくれが何回転もして。「俺は響きを!響きとやらを!響きだけを作ってるんだ!それ以外何もいらねぇ!」っていう勢い良く尖らせた意味合いが自分の中を多く占めていた事でそれをつけました。今はそんな事より「音楽を!音楽作ってますぜ!拙者音楽作ってやす!」みたいな。なんだこれ笑。まったくひどい答え方ですね笑 要するに、久保さんの質問(平間さんの肩書きが「作響家」になっていてすごく気になっていました。その意味を教えてください)この答えは、そんな深い意味はありませんでした。って事にしてください。この質問は1年前の僕にするべきでしたね。この企画が開催された2011年ってのは、evalaさんという僕の最も尊敬するミュージシャンとすごい長い時間過ごさせてもらっていた頃で、色んな勉強をいっぱいしました。これによって今の僕が出来ているので、たかだか2011年から2012年の1年ですが、随分と僕は変わりましたね。だからあの頃にこの質問を受けてたら何て答えたか分からないし、今の僕だからこう答えているのです。うやむやに答えて申し訳ないですが、次の質問行きましょう笑



「エンプティネス、サッドネス、ロンリネス、アンハッピネス」

K: 改めて確認させてください。これまでENG、JANDEATHなど、様々な名義と音楽性を使い分けて活動を行なわれていますが、本名であるshotahirama名義での作品のコンセプトを教えてください。

S: これは簡単、揺るぎないあれが自分の中で僕自身に毎日のように説明し続けてくれてるんだよね。shotahiramaってのはね、こうなんだよね、っていうあれ。向き合う時、向き合う度、それは揺るぎなくてしっかりと強度をもったもので。僕は根本的に話す度毎回話がオーバーになるし、気分で激しくミニマルな言葉選びになる。気分屋だから。でもこればっかりは不変的です。変わらずずっとshotahiramaとしての活動理念?活動理念ってなんだ?コンセプトがあるのです。どうしよ、そうだなぁ、箇条書きにすると分かりやすいのかもしれない。エンプティネス、サッドネス、ロンリネス、アンハッピネス。これらは確実にshotahirama名義に不可欠な要素です。というか、僕という男に不可欠な要素。響きって、僕が持ってる今の己の技術だと、響きで表現できるのは結局音そのものでしかないんだけど、でも楽曲内でファイルのポジショニングとファイルが発音後に残す響きのそのレイヤリング、それら全体の構成、コンポジションで結果エモーショナルな音楽的な雰囲気を獲得するんです。音楽的な雰囲気、それを最初から掴みにいくようなものではないんだけど、つまり最初からそれを狙っていくものではないんだけれど、なんだろ、滲むような滲み出す様にエモーションが感じ取れるように作り込む。それに、結果的に「ラッキー、今回掴めたぜ!」ってな具合でいいんです。意図してエモーションを狙うとあまりうまくいかない。で、そのエモーションとやらは今挙げた幾つかのネガティヴワードで「エンプティネス、サッドネス、ロンリネス、アンハッピネス」これらは恐らくshotahiramaとして活動するうえで今後もずっと自分に付随してくるものなんだろうな、と感じています。何度も言いますが、これは確実にニューヨークでの生活や、一家離散した家族構成とかが原因だと思います。



shotahirama
K: アルバム・タイトルの「NICE DOLL TO TALK」というのが、映画『空気人形』を平間さんなりに解釈/英訳したもの、ということですが、その意図を詳しく教えてください。個人的に今回のサウンドからは、空っぽの「空虚感」というよりも、息を吹き込まれた「生命力」「人間らしさ」のようなものを感じましたが。

S: 僕はオフィシャルでフルアルバムと公言している作品は今回で三作目なんです。一作目はシグナルダダからではなくて香港のRe-Recordsから2010年に発売されたもの、現在は廃盤です。タイトルがUnhappy American Lost In Tokyo、二重国籍の男の子のどこの国にもどこの文化にも馴染めない帰国子女特有の宙ぶらりんな孤独感、誰と過ごしてもしっくりこないしっくりできない、どこにいても居心地が悪いというか、そんなナショナリティロストなアンハッピネスをテーマに作りました。二枚目は自分の会社シグナルダダから2011年に発売したSad Vacationで、先程の質問に対する言葉をそのまま引用するなら「幾つものなにか、それらの摩擦、誰かと肩がぶつかるまで彷徨う様、その一連の動き」ってやつですね。狭い文化や人間関係、地域、近所、バイトで人やなんやらと摩擦してはすり減っていく気持ちを空虚感たっぷりに、日常レベルの視点で描きました。なんかこう、結局こんなもんだよな、と諦めてしまうような毎日を響きの面からリアルに描写したかった、当時現実模倣だなんだってよく僕は言ってたんですけど、ほんとそうで、イヤホンをしてもしなくても、CDの中身と外部の音が混ざってどっちがどっちだか分からなくなる、イヤホン外しても同じ音が聴こえるように描きたかった。とにかくネガティブな意味合いで彷徨う日々のエネルギーを表現したかったんです。
今作NICE DOLL TO TALKは音そのものにコンセプトは用意していません。が、タイトルとジャケットだけには独立させてコンセプトを持たせています。これまでの二作品、孤独感と空虚感を背負った男の子、その彼が恋をします。が、人間ではなくて人形の女の子に。彼はその子が好きで好きで仕方が無い、毎朝毎晩話しかけるだろうしキスもするだろうしなんならなんだってするんだろうし。彼はすべてを捧げているのに、彼女は声を発することはもちろん、彼を抱きしめる事もできない。ただひたすらに耳を傾けるだけ。喋り続けるには十分な人形ですよ(ナイス・ドール・トゥ・トーク)だけどね、それだけの存在。人形の女の子は一生君を愛さないんだよ。愛して愛されてはじめて満たされるという考えが僕にはあるので、なんというかこの男の子には残酷だけど、こんな形でとことん孤独感を味わってもらいたい笑
というまぁ、なんだかどっかで嗅いだ事あるような話、僕は『空気人形』を観ていません。多分これからも観れません。インスピレーションはもちろんその空気人形からで、ただ本編じゃなくて上映された当時の色々なインタビューとか、ほとんどは友人からなんだけど、そこから僕が勝手に抱いては膨らませたコンセプトなので、正直この時点で観るのは怖すぎる。ただ何度も言う様にこのコンセプトはアートワークとタイトルまで。直接的に音部分とは繋がっていません。僕はコンセプトと楽曲を切り離したかったので。久保さんが音部分で感じられた生命力や人間らしさは、恐らく僕自身ではないでしょうか。今回の音響は純粋に音と響きに集中したので、音は鏡です、その作り手が映り込むんだと思います、久保さんが聴いて感じたのは子供が生まれて父親になった僕そのものなんだと思います。



shotahirama
K: 美しいアートワークも『空気人形』からインスピレーションを受けているのですか?

S: よってアートワークのインスピレーションは空気人形ですが、いかんせん視覚情報を持っていないので、これも抱いては膨らませた僕なりの勝手な空気人形です。なので直接的なインスピレーションとはまた少し違いますね。モデルの女の子(Karin Yamamoto)は本来とっても明るくて、歳だって1世代違うって言っても大袈裟じゃないよなぁ、いや、大袈裟か。まぁでも、ほんとに元気で、一緒にいるときは喋りに喋る、若くて力強いとても魅力的な女の子です。きっと映画に出てくる例の空気人形とはまったく違うんだろうなぁとは思います。Karin Yamamoto の端正で美しい顔立ちに、フィルムの枠内にすっぽり入ってしまった時の静寂さ、身体はどことなく西洋人形っぽいしそこにはネガティブなイメージがまるで無くて、というのも健康的なプロポーションだし、そしてなによりどこか幼児性もある、そんな所に惹かれました。必要最低限の美しさをシネマティックに描写したくて、そうした時に映えるのは彼女しかいないな、と感じました。ポイントはその圧倒的な美しさよりは、どこか幼児性のある、可愛らしさですね。というのも空気人形の空虚感というのはアイドルのような姿形の方が、いざこれが人形でこれに恋をしてしまおうもんならその時の孤独感は計り知れないだろうと、もっと僕レベルで考えてみたんです。凍りつくようなネガティブな不健康さをもった美しいものよりは、愛されるような可愛らしい人形が良かった。健康的でどこか神話的な雰囲気もあって。撮影は2回ほど行って、本当忙しいスケジュールの中、協力して頂いて本当に感謝しています、この場を借りて、本当に皆さんありがとうございました。ここまで自分のアイデアをうまく具現化出来たのはモデルのKarinちゃんと、カメラマンを担当してくれたkenhiramaのおかげです。素晴らしい仕事でしたし、とっても楽しかったです。



「本当はドライな人間もクールな無機質感溢れる人間も好きで憧れるんですけどね(笑)」

K: 冒頭のビザール感が漏れ聞こえるボイスの変容に思わずニヤリとほくそ笑んでしまったのですが、その後の展開には音の衝突というよりも、世界に張り付いたそれぞれの事情と記憶が織り成す調和、さらに美しいその結晶体に浸食され、感情を揺さぶられました。一聴すると、冷たく無機質な印象のある平間さんのサウンドですが、感情的な部分はどのようにコントロールされているのですか? また前作に比べると具体音がずいぶんと減退し、替わりにいつになく動き回る低音が聞こえてくるのが印象的でした。あと、一つひとつの音が形と角度を変えてどこまでも持続し、追っていったその先に広がる集合的な響きの美しさにたまらない愉悦を感じました。特に後半のドローンが生まれる瞬間など何度聴いても離れがたい魅力に満ちています。ご自身は前作との明確な違いをどのように考えていますか?

S: すんばらしいお言葉頂けて光栄です、嬉しいもんですねやっぱり、なんていうのかな、ライターさんにこういうポジティブなお言葉をもらえるというのはなかなか今の時代難しいですからね、物凄く嬉しいです。さて、そもそも僕の作風というか「作曲」というのは、あ、先程の話の流れでいけば「作響」ですね、作響のスタート地点にあるのはまず「変容」です。変容というプロセスを経てはじめて作響の行程へ移るんです。なので、今作 NICE DOLL TO TALK での冒頭、あの過剰なまでのヴォイスカットアップは僕がこれまでずっと繰り返しやってきた自称お家芸「変容」の見せ所聴かせ所ですね、変容の変容の為の変容による、かどうかは別として、とにかく変容によるイントロダクションです。
音の変容っていうのは、その言葉の通り、姿や形を変えること、ですね。Aというサウンドファイルがあります、そのAをそれ以外のアルファベットへと変容します。Aをそれ以外に変容させることに意識と作業を集中させている為、響き云々よりもまずは姿形を変えなければ、という意識が強く働いています。いや、「響き云々よりも」は語弊があるな、あくまでも扱うものは音なので、目に見えない対象物を扱う以上やはり響きでそのものを判断/デザインせざるを得ない。うーん、シンプルに言えば、まぁ自分が求めているデザイン、それは勿論一般的なものよりも上、一定基準値よりも遥かに越える姿形に変容出来るよう耳鳴りで確認しながら作業します。なぁなぁのデザインじゃ満足出来ないからね。いずれにせよ、BやC、DにEと僕はこの変容されたファイルを無数に作り続けます。具体的な数字を言えばこの段階では600から700はありましたね、今作では。
では、響きはどこに付随されているか、あの冒頭でいうならば、その変容とやらに動きを持たせる「変容とその運動」にて、それら動きひとつひとつについてまわっている響きです。耳をすませば、例えば単音ひとつひとつが終わって、消えて、次の音が湧いて、右にふられて左にふられて、また消えて遠くに飛ばされて近くで鳴って、という動きひとつひとつに動いた後の響きというものが聴こえると思います。物凄いスピードで、またはゆっくり、速度もいろいろと用意しました。久保さんが言った「ビザール」に関しては、うーん、あくまでもビザールとは悪趣味感を狙うものなので、今回に関してはどちらかといえば皆無です。話をまとめれば、冒頭のカットアップパートはとにかく変容とその運動で形成された音とその響きを聴かせたかった、そういう意図があるんです。

で、肝心の後半部分ですね。後半部分は久保さんが言われた通り、結論から言えば「感情的」にしかし「作られたもの」です。どういう事かと言うと、久保さんの言葉を借りれば音の結晶と結晶の隙間、ひび割れからその「感情」とやらが「滲み出てくる様な」ものがよかった。意図して作れないようなもの。後半部分のメロディっぽいものも持続っぽいものも、結局は響きから形成されています。いや、言い直しさせてください、どちらかといえば響きの「残響」部分で形成されているものです。なので僕が今言った、意図して作れないようなもの、というのはあながち嘘じゃないんです。冒頭の「変容と運動」の過程で溢れ出た残響なんです。気付いたらそれら残響部分が次の小節にもそのまた次の小節にも残っていて、この残響を切り捨てるにはもったいなと。なのでそこだけ抽出して、これをキレイに形作ると決めた頃には、もうあれですよね、狙いますよね。エモーショナルに音事を進めるようにデザインします。こうなると「作られたもの」になっちゃいますよね。でも、ほんと最後の数分はまさにそれで、完全に狙っています。ギターをひいてるぐらいの気持ちで残響を組み合わせています。なんならその上にシンセも重ねている。

だから久保さんへの答えはこうですね。感情的な部分はなるべく意図して作らないようにします、が、滲み出てくれば、それを僕は排除したりしません。前作 Sad Vacation ではなるべくそれらは排除してきました。まぁコンセプトが前のアルバムには存在していたので、排除せざるを得なかった。ただ今作はコンセプト自体が存在しない、音に忠実な、音の響きに聴点をフォーカス出来るような作品を完成させたかったので、作曲/作響の流れで生まれて出てきた物はすべて真正面から受け入れてみました。本来僕という人間は、特別子供が生まれてからはより強度を持ちましたが、無機質でもなければクールでもない、どっちかというとよく笑うしよく喋るしよく怒る、最近はスペイン語も勉強してるし、好奇心旺盛に感情的に毎日を過ごしている人間なので。自分に素直になのかしらわたし、まぁあえて言うなら本当はドライな人間もクールな無機質感溢れる人間も好きで憧れるんですけどね(笑)。



「何が違うか具体的に言えば、量ですね。音量も質量も分量も。グラム数が違うみたいな」

K: また、今作を制作する中で新たに発見した自分なりの手法などはありますか?

S: やっぱりshotahiramaの大部分を占めていたフィールドレコーディング、録音後のファイルの扱いが大きく変わりました。フィールドレコーディングの方法や対象物は前作と変わらないんだけど、一度パソコンに吸い込ませてプロジェクト画面を開くとね、もう自分の制作スイッチみたいのが前作とは違う。何が違うか具体的に言えば、量ですね。音量も質量も分量も。グラム数が違うみたいな。楽曲全体を通して聴いて頂くと気付くと思うんですけど、全体的にフィーレコの音量は小さくて、そしてそもそもあまりフィーレコもののファイルが表層に出てこない、出てくる箇所も非常に少ない。フィールドレコーディングのマテリアルが今作では非常にウェイト的に軽いのです。
音、単体、単音ひとつひとつも数を限定して/選択して、ヴァラエティ感は無くしました、そうする事で自分自身肝心の響き作りに専念できるかなって。音の種類が限られている状況ではどうしても音の鳴らし方を豊富にしないといけない。音数少なくて、音の響きも全部一緒だと説明するまでもなく、つまらなさそうでしょ?実際そうなってしまうんですよ、音数減らす場合はヴァリエーションを持たせないとのっぺりでつまらないものになってしまう。だから色々な方法を試しては採用してあらゆる箇所で実践してみたので、このアルバムは個人的にはとても腕を鍛えられた制作期間だったなと思います。フィーレコのグラム数が違うと発言したのは単純にフィールドレコーディングという手法に興味が無くなってきている訳では全然無くて、僕なりの、僕個人史においてのフィールドレコーディングミュージックに新しいやり方を模索した結果がこれだったんです。僕個人史では確実に音響音楽の新しい側面だったし、あとは皆様の判断、プレス関係者の評価にまかせたいと思います笑、いや笑ってる場合じゃないのだけれどね、ドキドキですよ、ほんとに。発売するときは不安でいっぱいです。



shotahirama
K: 前作『Sad Vacation』の中に「Guided By Voices」というトラックがあったり、今作のトラック名がヨ・ラ・テンゴの曲名でもある「Nothing But You And Me」であったりするなど(他にもハフラー・トリオやザ・ルーツのタイトルもありますね)、90年代オルタナティヴへの憧憬がそこかしこに見て取れますね。しかも包み隠さずあからさまに(笑)その辺りのアティチュードであったり、音楽的な影響は作品にどのように結びついているのですか?

S: 僕は結果論で言えば100%全開で「音楽」という括りにくくってもらえるよう、ポップネス炸裂で日々制作しています。プリンスのポップライフって曲があって、85年の名義はプリンスとレヴォリューションズだけど、まぁあれが僕の今の気分を歌ってくれています。で、ここでリンクするのはそのポップライフのジェームスマクニューバージョン。ヨラテンゴのマクニュー、Dump名義ね。これクリック
何が言いたいかというと、僕は今「音楽」と向き合っているんです。これまでの人生で今一番音楽が好きですね。昔よりヴァイナルもCDも買えてないのに。でもなんだろ、語弊があるかもしれないけど、アートがどうこうみたいな括りで語られたい欲はそもそも無いし、あんだけ好きだったサウンドアート云々の意識も昔より薄れてきているかな、今の僕は作品の落としどころをアートやらなんやらのエリアに設定してないんです。確実に音楽に向けて、音楽と向き合って、音楽を作ろうとしてる。しかも確実に人々の日常レベルにおけるポップな音楽を。

で、そこでです。音楽と向き合うとなると、僕の音楽的価値観がついてまわるのです(それをこういった場で喋れるのは嬉しいな)日々アップデートしてるつもりですよ、音楽への欲求、情報や知識も愛情も、もちろん己の技術も。今回の質問に関しては特別音楽への愛情という点で話を進めると答えまで早いかな。んで、僕は自分の音楽への愛情とやらを全開に表向きに出していきたいんですよね。僕がここでこうして音楽を発表しているのはこれこれこういう人達に影響を受けています、ってのを彼らへのリスペクトを込めて(別にそんなのいらなくない?と言われたら、まぁそんな固い事言うなよ、と言ってやりたいですね笑)まぁそもそも僕の場合、実際音にそれが現れているかといえば、そうでもないので少し話が厄介ですけど。ひねくれものだから僕は。
少なくとも前作や今作には僕のその所謂オールミュージックラバーズみたいな感情というのは音そのものにはなかなか表層として目立ってはいない。
ただ次回作からはどうなるか分かりません。ビートハプニングみたいな歌も歌うだろうし(仮)ヴィヴィアンガールズみたいなギターも弾くだろうし(仮)なんならジェネピーみたいに女になるかもしれないし(嘘)思う存分音にもこの彼らへの愛情とやらを注ぎ込みたいと考えています(仮)。あくまでも全部仮と少しの嘘ですけどね、僕は気分屋だし。ただ、久保さんが気付かれた様に僕はGuided By Voices/ガイデッドバイヴォイセズもYo La Tengo/ヨラテンゴも大好きです、で、むしろそれらを聴く耳と同じ様に聴いて欲しいという願いも強くあります。僕がさっき言ったようなアートだからとかおしゃれだからとか変に先入観を持たないで、ごく一般の視点、聴点から僕のCDに耳を澄ましてもらえるととっても幸せです。それを表明するのには僕のやり方ですよ、オルタナファンはくすぐられる感じがあれば嬉しいな、僕がこれまでやってきた「やり方」っていうのが、久保さんが指摘された通り「この平間って人、タイトルがペイヴメントのあの曲なんだけど!」とか「これNasのイルマティックのあの曲と同じタイトル?」とかのあれです。今作も、NICE DOLL TO TALK(早速買って頂いて笑)ジャケットを開けてもらってCDを取り出してもらって、盤面をまず見てもらいたいです、僕の大好きなあのバンドのあの曲からのワンフレーズが引用印字されています。それがなんなのかは皆様の音楽愛を試しているのでここでは言いません笑 特別最近は自分の作品の落としどころがアートやらなんやらだと僕は「もう嫌なので」意識的にそのエリアを避けてるのもあります。どのエリアかはもうこれ以上言及しませんが、色々な想いが交差してあからさまに自分をさらけだしています。僕は響きに特化した云々的な云々音楽を作ってるけど、これは、このCDは、あなたのライフをポップに彩る何かの部品になってくれれば一番嬉しいんだ!ポップライフ!ってね。



「僕だけがそう思ってる訳じゃないと思うんです」

K: そういえば、平間さんのスタジオ名も元ペイヴメントのスティーヴ・マルクマスから頂戴した「マルクマス」ですよね(笑)

S: 特上の質問がキタ!!!!笑 ということで、音楽もこれに変えてみましょう。ペイヴメント時代のマルクマスに思いを馳せて、僕の大好きなキャロットロープ、僕の記憶が確かならペイヴメント期最後の曲ですね。みーんなで黄色いレインコート着て、あんなに仲の悪かった連中がこんなにも楽しそうに仕事してるのはなんだか胸が熱くなるというか、大好きすぎる。Pavementの99年盤 Terror Twilight より And Carrot Ropeだっ。これクリック
マルクマスは大好きなんですよ、ほんとに。ギターは超絶にしろ、歌は下手だし、性格悪そうだし、顔はかっこいいにしろ服はダサイし(服はダサイしは最高の褒め言葉ですよ!?とんでもなくヨレヨレでかっこいいんだからっ)けどメロディメイカーとして90年代以降今でも色褪せず音褪せず普遍的に鳴り続ける音楽家としてはもう百点満点大好き。僕だけがそう思ってる訳じゃないと思うんです。9月20日にですね(この原稿を書いてる日からはもう昨日の方角ですよ、3日か4日前の話ですよ)マルクマスがジックスというバンドを組んでるんですけど今現在、そのマルクマス&ザ・ジックスが来日しまして、それも行きまして。僕の数少ない友人、親友のまもる君と2人で(まもる君は僕のペイヴメント先生ですよ)泥酔してるマルクマスが終始笑顔で。何度も言うけどほんとに大好きな音楽家です。ダメだあんまり中身がないなこの話笑、マルクマスとサーストンムーアが同じバンドやってたの知ってました?オルークもいて、キムもいて、ドラムがイクエモリ師匠。なんだこれってバンドがあって、Kim's Bedroomって名前でリリースは無いんですが。と、意地の一発はどうです?まぁいいや笑。話を元に戻すと、その、同じ度合いでLAFMSのトムレッシオンが好きだったり、NWWのステイプルトンが好きだったり、カレントのチベットが、EGがNEがMBがNBが、ライルズが、ポッターが、アントゼンが、ファーマーズマニュアルがファックヘッドが、ビザールからもノイズからもメゴ以降からも名前は出せるんだけど、包み隠さずインタビューに答えるならば、僕の基本的なルーツは90年代オルタナティヴなんです。僕は29になるんですけど、ようやく自分の速度で自分の噛み砕き方で自分の聴き方で一周出来たと感じます。一周してカミングバックトゥマイルーツですね。



shotahirama
K: まさにNWWリストに載せられているような作品を好むマニアックな音響フェチから、ザ・スミスに心酔するギター・ロック好きの少年少女に聴かせてもしっくりとくる「響き」をもった作品だと思います。もはや「エレクトロニカ」という括りはネクストステップに対する足枷にしかならないですね。そして、ポップネスの爆発の果てに平間さんの歌、ギターが聞ける日を楽しみにしています(笑)ところで一周してきた90年代オルタナティヴは平間さんの耳にはどのように聴こえましたか?

S: ありがとうございます涙。NWWリストは完璧に頭に入ってますよ笑(ジョーポッツのAirwayにはじまってザッパまで)僕はとあるレコード屋で5、6年近く働いていて。その時期は完全にノイズ・ビザールに傾倒していたんです(今回のインタビューでは完全に封印させてもらいます)その時期を除けば純粋にオルタナキッズでした。自分史のノイズ期を振り返っても決してオルタナを買ってなかった訳でもないんですが、まぁともかく、まず僕という人間は完全にヴァイナル/レコードリスナーだったのでヴァイナルしか買わなかった。というのも、これ面白いカラクリで、当時00年代、まぁ中古屋とはいえど、新譜ヴァイナルも新譜CDも扱っているんですけど、当然00年代のリアルタイムものはそのへんのCD屋含めた市場価格とさほど変わらないので、特別魅力はなかった。ヴァイナルジャンキーって僕の場合、値段を安め安めに掘っていたので、高いものには当初そもそも魅力を感じなかった。安月給の僕が欲するのはCDより安くていいもの、となると、90年代ものヴァイナルが非常に充実してたあの頃(価格帯も上下変動激しい中古市場も90年代ものに関してはちょうど落ち着いていて)簡単に、しかもたくさん買えたジャンルってのがその90年代ものってやつだったのです。逆に80年代もののニューウェーブ勢ネオアコ勢が高値になっていて。なんだか懐かしいなぁ。2010年代に入った今なら00年代が安くて、90年代が高くて、80年代が落ち着いた値段になってるんじゃないかな。っていうカラクリは置いといて、だから世代的に僕は00年以降所謂「ストロークス以降」ってのが本来ど真ん中なのですが、この時期に僕は相当なスピードで90年産ヴァイナルを買っては消化して知識を溜め込んでいましたね。安かったからという理由で。ステレオラブにガイデッドバイヴォイセズ、ベータバンド、ワナダイズ(ワナダイズはクソ高かったけど)なんだろ、ジャングリーなネオアコから超絶クールだったローファイ、あんまりピンとこなかったグランジに(ダイナソージュニアは好きでっせ)日本でヒットしたギタポもの、ブリットポップだって当然。僕は次第に80年代ものにも泥酔していくんですが、あらいやだ、どんどん話が長くなりますね(ビートハプニングのキャルビン・ジョンソンにレイプマンのアルビニにフレイミングリップスにバットホールにソニックユース/フリーキトゥンに初期ヨラテンゴになんならジザメリだってソニックブームだって、レーベルで言えばレインコーツにディスロケにスミスにスウェルマップスのラフトレ、ヘヴンリーやブルーボーイのサラ、マリンガールズにベンワットのチェリーレッド、フェルトにパステルズやジャスミンミンクスのクリエーションレコーズ、ノーニューヨークものだっていいんですよ?ファクトリーものだって、ポストロックものだって、なんならフガジだってデッケネだってブラックフラッグだって、バズコックスだってファストカーズだって、あ、カーズだって!)話を戻しましょうか。いや、話を戻す前に一曲、JASMINE MINKS/ジャスミンミンクスの85年クリエーション盤のヴァイナルよりコールドハーツです。これクリック
さて、話を進めましょう。先程僕が触れたガイデッドバイヴォイセズにも強く影響を受けていた「ストロークス」そして「それ以降」というのは恐らく僕ら世代には誰もがピンとくるであろうあの雑誌スヌーザー発端に盛り上がった訳ですが、と僕自身ここで定義したうえで話をしますね。「それ以降」ってのはほんとファッショナブルでみんなミニマルにしかしキメ細かく創り込まれていて、文句のつけようがない完璧な音楽、そしてシーンそのものも完璧に作り込まれてるものでした(僕もやっぱり影響受けましたけどね)。ここからはさらに僕個人の経験を踏まえての批評ですが、楽曲単位の話をすればメロディ云々よりはアレンジや構成、音響でといったものが主流で、根本的に90年代後半組に対してのアンチテーゼとしてのオルタナティヴアティテュードだったと思います。コンセプトは明確で、そのコンセプトに忠実で、しかし一方ではそのコンセプトに自ら縛られて喘いで自慰自爆するバンドも多くいて、面白くもなんともない気持ちの悪いものが音楽に付随していた様な印象が強いのも確かです(仮装大賞みたいなバンドもいっぱいいて、ホワイトストライプスにヴァインズにマンドゥディアオ、ブラックレーベルモーターサイクルクラブにオーディナリーボーイズに名前を挙げればキリがない、酷過ぎた)特別US勢(ニューヨークを中心に)はそういったものが強く感じられて、もうひとつの大国UK勢はそんなUSにアゲインストといった姿勢で、この「〜以降」ムーヴメントには若干の乗り遅れが見えた様にも感じました。が、UKの意地ってのは凄くて「リバティーンズ事変」以降は本国特有の不良っぽさ、アウトサイダー、アイソレーションっぽさに、あげくのはてにはドラッギーなドリーミー感を盛り込んでみると最終的には無敵でしたね(リヴァプールのジョニーボーイは大好きでしたけどね)独自路線を次第に見つけていく。ルーツがキンクスとかデイブ・クラーク・ファイブとかだと僕も悶絶してたし(古ロックも大好きでしたからね)で、ニューヨークはニューヨークで、アメリカはアメリカで回転が早いのでどんどん次から次へとトレンドを吸収して現代のダーティープロジェクターズ(ブルックリン)やらビーチハウス(バルティモア)まで紆余曲折ありながらも辿り着く、結果良好じゃないですか?褒めてるような、皮肉っぽく言ってるような、微妙な感じ伝わるかな。というのも、嫌いじゃないんですよ、00年代は。ただなんていうか僕は、00年代のそれらコンセプト経由の完璧な仕上がりよりは、90年80年代の何かもの足りないのにあれこれ補わずにそのままほったらかしの素っ裸で演奏してる感じが好きなんです。DIYだのなんだの、EP1枚ですぐ解散とか、地方だけの盛り上がりとか、ラジオ局でも流れないものとか、インディペンデント臭がぷんぷんするものがとっても好きで。でもそんな彼らって結果近代で最も60年代ビートやサイケにモータウンに70年代ソフトにまで負けるとも劣らないほどの極上なメロディを掴んでは生んでいる、気がしたんです。現代音楽に最も重要なファクターはリズムとメロディだと僕自身が定義していたので、こいつら華が無いけど超いいメロディだな、とか笑いながらも心掴まれた訳で。周りの友達みんなストロークスみたいなファッションの中、万年フレッド・フリスみたいなネルシャツ(ステップ・アクロス・ザ・ボーダーってDVDでフレッド・フリスが着てたようなネルシャツね)の僕はこの時代の連中を愛してました。特別僕がジャングリーなものが好きだったのもありますが、彼ら草食系ジャングリーやローファイにはハードコアにも似た姿勢の強度があったと思います。00年以降を否定する訳ではないですが、僕が90年80年のある部分だけを見るならそんな明確な確固たる「インディペンデントなメロディ」を感じたんですよね。俺のメロディはお前のよりいい!みたいなちっちゃい地方同士のいざこざ感。ローカル感。閉じられた感。それが僕は大好きだった。ノイズやビザールに傾倒していた時期はこれを一切ひた隠しにして表向きに出さなかったけど、今はカミングバックトゥマイルーツということでこの気持ちオルタナティヴラブを受け入れております。オルタナティヴアクセプトですぜ。



「クリストファー・オーウェンス」

90年代というと平間さんの一つ上の世代になると思うのですが、同世代のオルタナティヴ勢でシンパシーを感じるアーティストはいますか?

S: 僕の同世代となると、何度も言う様にストロークス以降なので、ゼロ年代ですね、テン年代だともう違うかな、シンパシー/共感かぁ。当然ストロークスは好きでしたよ、ライブも何回も観てるし、サドルクリークのブライトアイズも好きだったなぁ。アーツアンドクラフツのブロークンソーシャルシーンとか。ニューヨークのBURNSIDE PROJECT/バーンサイドプロジェクトってバンドも好きでしたね。僕はその昔、つまりラップトップで音楽作る以前はサンプラーでトラックを作っていました。コルグのエレクトライブで真空管がついたやつ。当時7万円ぐらいだったかな、バカ高いよな、今思うと笑、なので、このバーンサイドプロジェクトみたいにサンプラーをつかって音楽やってますみたいなバンドとっても好きでしたよ。なんだろ思い出すのって難しいな。
最近のテン年ものだと、僕がやたらとつぶやいていたカリフォルニアからのバンドでGIRLS/ガールズとかどうでしょう。特別、この写真の男、クリストファーオーウェンスなんですけど、最近ガールズから脱退表明して(さらには元ディオール現サンローランのエディ・スリマンのミューズになっている彼。いつかのピートドハーティみたいになりそう。遠い目)幼少期にはカルト教団チルドレン・オブ・ゴッドに在籍するなど、なんだかシーンが好きそうなおしゃれなバックストーリーがあるんですが、それは置いといて、僕の今の気分的にばっちしな音楽を演奏してましたよ。気怠くて空虚感たっぷりな日差しが痛いみたいな、カラッからに干上がったサンフランシスコの乾いた外壁みたいな、冷えきった夕方の街に危険なアルコール臭が混ざるみたいな、アメリカのイギリスみたいな、みたいなみたいな、的な的な、とても素晴らしいソングライティングセンスが彼にはあったと思います。例えばこんな曲、GIRLSで09年に発売されたアルバムその名も「アルバム」からローラ。モダンジャングリーですよ。これクリック。映像は僕も大好きなシリーズでピッチフォークがやってる屋上シリーズ「Don't Look Down」のやつですね、ニューヨークのイーストリバーが後ろに流れててとっても素敵です。



shotahirama
K: とかく、過去の音楽や古典に執着し、あるいはなぞるだけの「答え合わせ」のような実験が散見されるシーンの中で、平間さんの音楽は常に「まだ誰も答え方を知らない」もの、現状の音楽/アートに対するオルタナティヴを提示されている印象があります。そして本作。もはや、過去をアップデートして今の音を作るのではなく、もっとその先の、今の音で未来を作る段階にまできているように思いますが、いかがでしょう?

S: 「現状に対してのオルタナティヴ」は僕も好きな言葉ですね。これって別に何か新しいものを提示する姿勢ではなくてもいいんです、今この時点に対して別時点を見つけ出せばいいんです。一点にしか集中していない事象に対して別の点を用意する。これって、別に新しいものを提示するより簡単だとかそういう話ではないですよ?ただ根本的に「新しい何かを創りだすニュースクール」に対して「創りだされたものとは違う何かを見つけ出すのがオルタナティヴ」という考えを僕が持ってる以上、僕は後者の方がダダイスティックだと感じます。どういう事かというと、簡潔に言えば、潔く言えば、後者の方が僕は興味がある。要は、既存のものを乱用するなり、応用するなりなんなりで破壊ないしは別の姿形を見つけて提示出来ればいい。結論、最初の様子から遠く離れた有様に変容出来ればいい。これってこれ?これってこれと同じもの?同じ時代にある2つの点はこんなにも離れた所にあるのに、実は同じ線上で存在する、みたいなね。よくある点と線の話、あれを持ち出して話せば分かりやすいですね。

具体的に音の響きひとつに当てはめてみても僕のやってる事は、今僕が言ったこととうまいこと合致してるはずです。既成事実、既存事実、実在する音、結果的にそれら「現状」「現在」「事実」に対してのオルタナティヴを表現、体現、別次元でも別の様子でも、はじめのそれとは違うこれ、を提示したい。なにより、僕がそう提示してみせたとして、そう感じて頂ける方がここにいるのだから(久保さんね)これは何と言うか、ほんとに嬉しいです。凄く嬉しい。で、問題は「現状に対してのオルタナティヴ」の「現状」部分、僕は対象となる事象は音楽だけでもないし、アートだけでもない、響きだけでもない。基本僕が持っている知識と僕が見えている世界が「現状」です、それに対してのオルタナティヴです。物事に対して何か違った見方を見つけるという事は多分この先とっても重要な行為、意識、考えだと思います。スクロールして降りてくる情報もあれば、未だにテレビの影響力も強い、誰がどんな友達と遊ぶかでも世界は簡単に変わる。こういう状況で何を対象にしてどういったオルタナティヴポイントを探し出しては提示出来るか、僕が音楽家である以上、常に研ぎすましていたい感覚ですね。
久保さんの質問の後半部分にある「今の音で未来を作る段階にまできているように思いますが」という問いには直接繋がらなかったかもしれません。でもこの「未来」って言葉気になるな。話がちょっと逸れるんだけど、僕のこういった姿勢が誰かの誰かの誰かの友達の親戚ぐらいの世界を変える事が出来るのであれば嬉しい。あとは僕の力じゃなくていい。未来は結局、音単体で作れる訳ではない、ましてや僕一人でも無理。その人の環境が誰かの環境と連鎖して未来を作っていく、その人がこの時代の何を見て、それをありのままに受け入れるかもしくはオルタナティヴな姿勢を取るかで、未来が作れるんだ。音楽がきっかけになればいい。その音楽が「答え合わせ」のようなシーンからのものだと、いい連鎖が起きないと思うのですが、僕が言う必要性も無いですかね笑



「どんな風に聴かれたいかの望みは一切捨ててますよ」

K: なるほど。新しい何かを創りだすよりも既存のものから何か(オルタナティヴポイント)を見つけ出す。目に見えている現状を変容して目に見えない未来を創りだす。平間さんの活動からは一貫して過激な「他力思想」(それは力任せの自力よりも遥かに過激だ)が伺えてそこに未来の野蛮を感じるのだと思います。しかも誰もが接続可能な。平間さん自身はご自身の音楽がどのように聴かれることを望んでいますか? またリスナーに与える影響をどのように考えていますか?

S: どんな風に聴かれたいかの望みは一切捨ててますよ、僕は僕自身のその時その時の技術やら知識やら気持ちやらを詰め込むだけ、それをフィジカルつまりCDという形にして流通に乗せる、より多くの人に聴いてもらいたいという気持ちはもちろん強くもってます、だからプロモーションも頑張る。ここまでは自分のコントロール範囲内で実現可能です。が、そこから先、つまりCDを買って頂いたあとからはもう何と言うか、その方が僕の作品を良かった悪かったと判断される時点で僕がいじれるツマミはもう無いというか、僕にはもうどうにも出来ないですよね。稀に、クソーこのCDつまらんかったわー、けど今日ライブ見て家帰って聴いたら全然違うように聴こえるんだけど!うそー夢みたーい!むしろ好きになったわ!とかのパターンもありますが。うーん、無責任な発言にも聞こえますが、より多くの人へ伝える為の努力は絶対に怠りたくない、けど1万人なら1万人全員に最高だこれ!と言われる為の努力とこれはまた少し違う。そこに努力は費やさない、そこに神経をすり減らしてる場合ではないんですよ。でも希望論として語るならば、僕の作品を聴いて、先程の質問でもお答えした通り、疲れたバイト帰りパート帰り、勉強中、一服中、誰かとデートする時の待ち合わせ時間、なんでもいいけど、その人その人の時間の一部分(今回で言えばあなたの人生のたった14分でいい)になんらかの起伏、感情の起伏が生まれれば幸いです。ポップにライフを彩る事が出来るなら、出来たなら、ほんとに幸せです。



shotahirama
K: ライヴでのアクションを見ていると、まるで指先から音が発せられているような錯覚を覚えます。頭で作られたものではなく、また即興とも違う、もっと感覚的で、身体的で、攻撃的な何か。誤解を恐れずに言うならハードコアを聴くような高揚を感じます。その辺りの意識は?

S: まぁ見た目こんなですし、僕の日々の過ごし方はツイッターでも晒してますが、あれは客観的にどう解釈してもソフトロックではないですし、もっといえばエレクトロニカな雰囲気も音響やアカデミックな雰囲気も、自分でアカデミック感ゼロというのも情けないですが、そういった幽玄で壮大で、ましてや繊細で緻密でミニマルなとかいった類いの感じはまったくどーして、どこにも感じられないです。涙。
いつでも急いでるし、せっかちだし、昔はほんと都合のいい時だけ逃げる、かっこはそんなによくないですね。どちらかと言えばハードコアなライフスタイルではあると思います、かっこをつけるなら。ハードコアと呼べるような根性は子供が生まれてから芽生えたんじゃないかしら。ほんとに特別、子供が生まれてからは根性座りましたよ、逃げてらんない、目の前のどんな面倒くさい事もすべて娘の為です。フルタイムの仕事もバイトも、なんだって。ただねSpekkの杉本さんにもはっきりと言われちゃったんですけど、僕は生き急ぎで早死にするタイプって笑 感覚的で身体的、肉体的、攻撃性もあるし最悪なことに虚無性も兼ね備えてしまっている。なかなか不安定な男です。だけど、本来の性格は超絶ナイーヴです。めんどくさいってやつですね。だからこそ、あ、これはあくまでも「ライブでのアクション」限定で話を進めるならばですよ?ライブ/表舞台の爆発力はshotahiramaつまり僕特有の「日々の不安定感や思い込みからくる孤独感、ナイーヴィーな人間性」が爆発しちゃう様だと思います。スペシャルな舞台の上で、精神不安定な男が大爆発して取り乱してる、とでも言えばいいのでしょうか。
把握、コントロール出来てる自意識内の、とある目覚めない無意識部分が引き起こしてるんだと思います。痙攣ですかね笑、コントロール出来てる自意識では音楽家としての自分を保っています、目覚める必要のない無意識部分が余計なアクションを作っているんだと思います。この男、興奮状態、だからまったくハードコア云々は意識していません。何度も言いますが僕の見た目がこれなので、ハードコア的な云々を感じられるのかもしれません。まぁ久保さんが平間さんのアクションにはマイナースレットを感じさせる云々、といった具合にあの辺のバンドを引き合いに質問していたら、はい、意識しています、と別の答え方で答えていたかもしれません笑


CD RELEASES
Homage

『Homage』
Yu Miyashita

2015年9月20日発売: CD/ALBUM
価格 1600円(+税)




post punk

『Stiff Kittens』
shotahirama

2015年2月22日発売: CD/ALBUM
価格 2000円(+税)




post punk

『post punk』SOLD OUT
shotahirama

2014年1月23日発売: CD/ALBUM
価格 1600円(+税)





OTHER CD RELEASES
surf

『Surf』
shotahirama

2015年1月29日発売: 4CD/BOX
価格 3900円(+税)
レーベル: shrine.jp





BIOGRAPHY
shotahirama

ニューヨーク出身の音楽家、shotahirama(平間翔太)。中原昌也、evala、Ametsubといった音楽家がコメントを寄せる。畠中実(ICC主任学芸員)による記事「デジタルのダダイスト、パンク以後の電子音楽」をはじめ、VICEマガジンや音楽ライターの三田格などによって多くのメディアで紹介される。Oval、Kangding Ray、Mark Fell等のジャパンツアーに出演。代表作にCDアルバム『post punk』や4枚組CDボックス『Surf』などがある。


shotahirama is a Tokyo and New York-based electronic musician working with sine waves, white noise, and other primitive signals as source material for his compositions. In 2010 shotahirama founded SIGNAL DADA label. Received universal acclaim from both mainstream and independent publications, including VICE Magazine, Sound&Recording Magazine, Art World Magazine and more. Also he toured around the world, featuring dates in England, Hong Kong and Japan staging for Oval, Kangding Ray, Mark Fell and more.





SNS
twitter facebook tumblr




BOOKINGS
info@signaldada.org





GO BACK TO TOP PAGE

Copyright © 2009-TOMORROW, SIGNAL DADA and shotahirama. All Rights Reserved.